面倒なことこそが、生きるをつくる大事なことなのかもしれない

imag2293

あれこれと「やりたくないこと」に素直になってみたら、やりたいことがほとんどなくなってびっくりした。ゆったり読書したり自分や生き方について考えたり(これらは昔からの趣味)してみたけど、ご飯も作らないと一日は長く、一日中本を読んでいるのも案外疲れると知った。数日ならまだしも、ずっと続くのは逆に面白くない。本は、何かの合間に、そしてたまにまとまった時間をとって読むのが楽しいと知った。

本を読むときの体勢って、なかなか体に負担がかかるのも驚きだった。

読書や映画はやっぱり好きだけど、なんだか毎日やりたいことなくなったなぁ、ワクワクという感じじゃないなぁ、と困りかけた時、「在り方」について考えるちょっとしたきっかけがおとずれた。幸せになる「やり方(方法)」ばかり考えるから、いつまでたっても今ここに生きられないということが分かってしまうと、考え方がひっくり返って、今までと違うものが見えてきた。大事なのはすでに幸せで「在る」ということを実感して味わうことだった!

などと簡単に書くと、まるっきりスピリチュアル系ふわふわ人みたいなので言いなおすと、今の自分をそのままに見つめて、今あるものを味わい、ないと思うものがすでに今あるということを知って、まさに今それを生きているようにふるまって、、、つまり「見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい。byガンディー」なのだ!!あ、よけいに怪しい!

 

面倒なことこそが、生きるをつくる大事なことなのかもしれない

ジワジワと分かってきたことは、これまで面倒くさいと思って遠ざけてきた「生きる」ための根本的なこと、これがものすごく大事なんじゃないかということ。私はこれまでビジネスとか成功とかそういうことにばかり目を向けてきた。すごく長年。そして、薬膳を教えたりちょっと料理の事もしたりしてたけど、それもすべて、私の昔の(と言ってもつい最近までの)基本の考え方として、ビジネスや成功の手段のひとつだった。

だから、「もうやりたくないこと全部やめよう!」と思ったとき、料理も本当は面倒くさくて嫌だ、ということに気づいてしまった。それまでは、料理屋の娘だし、料理をするのはいいことだし、やるべきだと無理やり自分を奮い立たせていたから、やりたくないということにも気づかないふりをしていた。

嫌になって、その気持ちに素直になると決めていた自暴自棄な悟りの時期だったから、それからは毎日カフェに行ったり外食ばかりして、少なくとも3ヶ月はまるっきりつくらなかった、一度も。そしたら体が疲れてきて、さすがにちょっと自分の作ったものが食べたいな、と思ったので久しぶりに作って、そしたらまた面倒だと思ったからやめて、なんてしているうちにPMS(月経前症候群)が復活して体が不調を訴えてきた。そうだろうなぁ、と思った。

 

自分の気持ちよさのための料理

そして今回日本に帰って、穏やかな料理本を買ってきた。派手じゃないし、私にとっては目新しくないけれど、なんとなく読むといい気持になる本。一人料理の参考にもなるかもしれない。いつもは料理本を参考にして作るということはできなくて、書いてあるように作るより目分量であれこれ加えちゃうんだけど、でも料理本ってどちらかというと、読んでワクワクして、あとはアイディアになったらそれでいい。

料理をする時間、これを無駄だと思っていた。

でもそれって生きる時間なんだな、とはじめて思った。

私は幸せであるためには、体が気持ちいいことが欠かせない。

気持ちいい体のためには、状態を知って、欲しているものを食べる。

要らないものを食べていたら、控える、やめる、悪いところはバランスをとる。

暮らしているところも、無理ない程度にきれいにしておきたい。そのためには、ルーズな私には物が少ない方がいい。すでにものは少ない方だから、気になる所を少し整理して、ショールームみたいな暮らしじゃなくて、息遣いがある暮らしがいい。家の中ではダラダラのTシャツが楽でいい。ブラも窮屈だからつけたくないし、すっぴんでいい。昔は、映画みたいに家の中でもきれいな服を着て、ホテルみたいに暮らすのが素敵でかっこいいことなんだって思ってた。なんでかっていうと、本当に自分の気持ちいい、心地いいを知らなかったから。そういうのがいいんだって、思い込んでた。でもそんな暮らし、窮屈でやだー。

毎日掃除しなくってもいい、それで自分が困ってないなら大丈夫。トイレや水回りは使ったついで掃除で十分。床の本気拭きはたまにでで十分。面倒なことを、今まで省いてきた生きるための根源的なことを、大事にして楽しむ、と初めて思ったのが最近の大きな成長。料理とか、掃除とか、片付けとか、ただぼーっと座っていることとか、移動とか無駄話とか。一日ひとつぐらいしか用事ができなくてもいい。そんなぐらいで、十分。何をあせってたんだろう、何かになろうと無駄に前のめりだったなぁ。

 

かぐや姫、は生き方のメッセージ

以前、かぐや姫という映画を観た。あれは親の愛情とか繋がりとかそういうこと以上に、人生そのものだった。かぐやの最大の後悔は、自分の思うように生きなかったこと。人生に絶望したショックで自ら天界の迎えを呼び、迎えは人間界での死を意味する。死を意識してはじめてかぐやは、親の意思に無理やり自分を合わせようと生きてきたこと悔やみ、好きな場所で好きな人たちと生きなかったことを悔やむ。そして、人生とは、人のために生きるものではなく、自分のために生きるものなのだと、そのための選択を勇気をもって繰り返すことだったんだと気づく。そのために、私はこの世界に降りて来たのに、と。

翁の行動は親の愛ではなく自己愛。誰かのために生きるという言葉は欺瞞で、人は自分のためだけに生きている。それは私たちが思うような醜いことではなくて、それこそが私たちが知らなくてはいけない、最も美しいもののひとつ。

 

やりたくないことを人が本当にやらなくなったら、経済もシステムも成り立たなくなる、と思っている人はまだ自分の本当の力を知らない。自分に正直に生きることでしか、本当の人生は成り立たない。やりたくないことはやらなくていい。自由には、ひとりで立つ勇気と本当の意味で自分の人生だけを背負うという責任がともない、あきらめることなく自分をつきつめる覚悟が必要だけど。

 

ゆるく、ゆるく、素直に、素直に。

今日も美味しいテキトーご飯を作ろうっと。

Related Entry

なんでお金が足りないのか、じゃなくて、なぜ私はお金が足りない...

添加物や農薬にこだわると買うものがなくなる、という問題を解決...

男を思い通りに育てる方法

目先のやりたいことから自分の真ん中をたどるプロセス

遊びは飽きる。だからめいっぱい遊ぶといい

問題が起きたときに、その問題の根本を考えると、まったく違うも...