仕事と暮らしのバランス。台湾の楽園(台東)に引っ越します!

5月7日に台湾の最後の楽園と言われている台東(タイトン)に引っ越します。台東は台湾の南東に位置して、海と山にはさまれた美しい地域です。台東市ならば台北から特急電車で3時間半~4時間ほどの旅ですが、私たちが引っ越したいのは、特急が止まらない所。電車の特急と各駅を乗り継いでたぶん4時間+駅からさらに車で40分といった場所です。ちなみに台北から車なら6時間少々。半分以上が高速もない山道です。

便利な大都会から田舎に引っ越すわけ

4月末に花連に遊びがてら家を見に行って、その流れで急に決めた引っ越しです。周りの人に報告すると「え!どうして引っ越すの?」と聞かれます。

きっかけは、犬ズと暮らしはじめて台北の空気の悪さが気になり始めたから。台北では、空気が白く濁ってマスクなしでは歩けない日も多いし、普通に歩いているだけで目がしばしばするのが日常だったりします。

犬の散歩に行くのも、なんとなく気持ちよくない。こうして犬と暮らし始めたことだし、この機会にやっぱり空気の良いところに住みたいなぁ、と思いはじめました。でもそれは、きっかけの話。

本当はあれこれ暮らしについて考えているうちに、私たちには都会は面白くない!と気づいてしまったからなんです。そう、私はついこの間まで、都会にはなんでもあると思っていました。自分の可能性も、美味しいものも、面白い友人も、安心な食材も、すべて都会に揃っていると思っていました。でも、お金で買える遊びって、、、、あぁ、面白くない・・・!!!

それが、引っ越しの本当の理由です。

京都の古民家暮らしで得た「豊かさ」の実感

私はもともと高松の生まれですが、国内外に暮らすうちいろいろな生活スタイルを経験しました。大半は大貧乏でしたが、まぁそれなりになんとかやってこれました。大都会に憧れていたから、東京や香港でも暮らしました。でもそのころは、もっともっと頑張って成功したらうまくいく、という妄想にとりつかれていました。なつかしい。

てらきちさんと出逢ってからは、私自身は都会が好きだったにもかかわらず、のんびりした暮らしを夢見て、ハワイ島に3ヶ月ほど滞在したりもしました。でもその単調な食文化と、多くのものが輸入品(ハワイ産の野菜はとても少ない)という状況が私には合わなくて飽きました。毎日南の島で遊んでいても、案外つまらないもんだ、ということも実感しました。

そして極めつけが、京都の古民家。都会が好きで自分の居場所だと思っていた私のまさかの田舎暮らし。いろんなはじめてがありました!

ここでは、見分けもつかなかった庭の草が食べられるようになったり、家に帰ると軒先に猟師さんからのプレゼントの鹿肉が吊るされていたり、薪で五右衛門風呂をわかせるようになったり、ほったらかし農法で種から芽がでて感無量になったり、無農薬無肥料で米を育てて手刈り天日干ししてご近所のおばあちゃんの技と知識に感動したり、侵入者のイタチと格闘したり。男女平等なんてつまんない思想で、本当に生きるためには本来、男には男の、女には女の役割があることがはっきり分かって、その力を発揮してお互いに協力し合うことが幸せの基本なんだということも実感できました。(家事は女、仕事は男という意味ではなく)

思い返してみても、都会で学んだことよりも田舎で学んだことの方がずっと豊かで満ち足りた経験でした。

台北でビジネスと生き方とやりたいことのすべてを

とはいえ、京都の古民家ではじめた藥膳講座がきっかけで台北で会社を立ち上げ、結局はまたまた日本を飛び出し台湾に。台北では、今まで住んだことも無いような素敵な部屋を見つけ、意気揚々と大都会暮らしをはじめました。

振り返ると台北は、今までやりたかったけどやれなかったことを全部やるための場所でした。日本から近くて、人も優しく、食文化も豊かで、文化的にも似たところが多い台湾。その首都台北で、めいっぱい大都会を満喫しました。好きなときに好きなものを食べに行って、毎日のようにあちこちのカフェに行って、オーガニックショップで買い物して、ジムやヨガスタジオに通って、マッサージにもたくさん行って、毎月のように出張で東京と台北を行ったり来たりして。

そして何よりも台北では、ビジネスについてたくさん悩んで考えました。

台北に来た2年前は、まだまだ「成功したい、会社を上手く回したい」という思いが強く、「自分たちがやっていることは良いことだ」という自負がありました。そのうちビジネスと生き方が少しずつずれはじめました。いいえ、その時点ではずれてはいないけれど、選択を迷うことが出てきたという感じかな。「会社が大きくなるということは、本当にいいことなのか?」ビジネスが成長するということで自分の生活がおろそかになり、想いとずれてもそれは仕方がないことなのか?お金があれば何でもできるという気持ちと、京都の古民家暮らしで知った、本物の豊かさの実感。台北での都会暮らしに慣れるにしたがって、振り子みたいに気持ちがあっちいったり、こっちいったりするようになりました。

「仕事に自分を合わせるか、自分に仕事を合わせるか」

一般には、会社をはじめたからには利益を出すのが当然だと言われます。もちろんそうでしょう。でも、会社の利益を考えると意にそぐわないことを選ばなくてはいけなくなることもあります。とくに食品関係のビジネスで、正直でありつつ適正な利益を得ることは簡単ではありません。消費者に対して正直であろうとするほど時間と手間ばかりかかって、利益のために人生が圧迫される。

会社を経営するにあたって私たちは「仕事に自分を合わせるか、自分に仕事を合わせるか」という選択をせまられたのです。

仕事に自分を合わせる、という決断

今から1年前の私たちは、「仕事に自分を合わせるべきだ」と考えました。会社をはじめたからには頑張って、会社を成長させなくちゃと思いました。そう、仕事のために自分たちの生活を「改善」しようとしました。つまり、ビジネスをもっと頑張ろうと思ったわけです。ビジネスについて再勉強したり、高額なコンサルを受けたりしました。思いつくかぎりの「効率を良くすること」をやってみながら、二人で毎日毎日話し合いました。氣持ちがセカセカして、イライラして、毎日考えるのは仕事のことばかり。不安が増えました。

そんな時間を経験して、そこで出た自分たちの結論は「あ、こんな方向行きたくない」でした。ビジネスやらパワーやら成功レッテルは、自分たちが求めている豊かさの本質ではなかった。それが身体で分かった感じです。

毎日ビジネスのことを考えて、もっと頑張って、やることリストを作って効率を高める。社員が増えて、売上が上がり、さらなる次の戦略を練る。それは一見成功のように見えます。でもそのためには「今」というたくさんの時間が必要でしょう。イライラして頑張るたくさんの「今」という時間の先にあるものは何だろう?そうイメージしてみたら、それはてらちさんと私が手にしたい生き方じゃありませんでした。

自分に仕事を合わせる、という決断

そこに気づいたら、もっと今大切な物が見えてきました。
・てらきちさんと二人で笑顔でいられること
・「毎日」心の真ん中から輝くように楽しいこと
・心が穏やかで、気持ちよい自分でいられること
それが私たちの本当の豊かさだと気づいたのです。仕事の成功にフォーカスして「いつかやってくる幸せな日」を目標にする生き方では、今この時がおろそかになる。それではこれまでの私のように、いつまで経っても「いつか、いつか」の繰り返しです。

心にそって暮らそう。そう二人で決めたときから、努力はやめました。暮らしの豊かさに着目すると、仕事から離れていき、最低限の仕事だけ(しかもやりたいものだけ)になっていきました。もちろん売上があがらないから焦ったこともありました。お金の不安は大きくてつい飲み込まれそうになって、また以前の考え方に戻りそうになったりもしました。でもだんだんと、もっとリラックスして素直に弱さも怖さも出せる自分が顔を出すようになりました。

「やり方」ではなく「在り方」

そんな変化のある日、私達には「やり方」ではなく「在り方」が必要だということに気づきました。これまでは「どうすれば上手くいくか」「何をしなくちゃいけないのかな」という視点から物事を考えていました。それはすべて「やり方」でした。上手くいく方法、幸せになる方法、豊かになる方法・・・。でも本当に必要なのは「私自身の在り方」だったのです。その一番大事な核心を知ることなく、方法ばかり考えてきたからいつもとっちらかってしまっていた、ということが人生ではじめて分かりました。

そこからは、毎日のようにてらきちさんと二人で「在り方」について話しあいました。

それは簡単に掘り起こせるものではありませんでした。在り方の周りには、表面的なそれらしい言葉、これまでの思い込み、知らないうちにしみついている世間一般の考え方、恐怖、不安、人生への不信感、そんなものがたっぷりとくっついていましたから。

見えてきた自分のあり方

それでも二人で毎日毎日話し合い、数か月かけて二人それぞれの現在の在り方がはっきりしました。私の在り方はこれです。

「穏やかで、繋がって、満ちている。自分という命への尊敬」

この言葉は私の心にずばっと飛び込んできて、私を安定させてくれます。他の人から見たらただのそれっぽい言葉だとしても、私の心を通せばまったく違うものになる。それが「私の在り方」の力です。

この言葉を見出してからは、私はどんなこともこの言葉に照らし合わせるようになりました。「この選択は私の在り方(穏やかで、繋がって、満ちている。自分という命への尊敬)にそっているかな?」と。分からなくなったら、てらきちさんに相談しました。

こうしたらうまくいくだろう、あの方法がいいらしい、上手くいった人はこうやっている、そんな「やり方」は外から与えられたものです。どんなに素晴らしいと言われる方法でも、それが自分に合っているかどうかは分からない。人のやり方を真似しても、自分の本当の豊かさにはたどり着けないのです。それを私はまったく知りませんでした。そして今、在り方にそって生きていると、自分のやるべきことを探さなくても、それが見えてくるようになりました。自分のための眼鏡をかければ、世界ははっきりと見える。

与えらえれる楽しみではなく、作り出す楽しみ

そうして、今回、私たちは台湾の楽園に引っ越すことにしました。家も決まっていないけれど、心配はありません。便利さや仕事を求めていくのではなく、在り方にそった生き方をするために、久しぶりに田舎の面白さを味わいたくてたまりません。

都会にいてお金で買える楽しみではなく、自分たちで生み出す楽しみと遊び。人がお金と引きかえに与えてくれる「遊び方が決まっていてみんながやっている遊び」は、たま〜にで十分です。

はてさて、私の在り方を満たす毎日の豊かな暮らしは、自然が与えてくれる感性の中にあるようなのです。

時間泥棒と与えられる不幸

先日、ミヒャエルエンデの「もも」を読みました。時間泥棒の話です。

児童書だけれど、大人だって読んでほしい。私は先日読んで心にたっぷりと栄養をもらいました。

物語の中で、時間泥棒に時間を売った人間は、だんだんと心の余裕がなくなっていきます。そんな世界では、子どもたちの遊びも、変化していきます。それまでは、石ころや木っ端で想像力を羽ばたかせていた遊びをしていました。それぞれの役割や得意なことを生かして、さまざまな表情があふれ笑顔がこぼれます。だけど大人に余裕がなくなると規律が厳しくなりはじめ、大人は仕事で家を空けるばかりになり、罪の意識から稼いだお金でラジコンやミニカーや豪華なロボットやゲーム機などを買って子供たちに与えます。どのおもちゃも、決まっている遊び方を学んで、その通りに遊ぶだけ。物が増える一方で、子供も大人も段々と無表情になり、忙しくなり、つまらなくなっていくのです。

・・・
物語を読んで何を受け取るか、が人それぞれのように、 人生でなにを重視するかもまた人それぞれです。正解も不正解もないけれど、自分にとって何が大事かを知ることが、一番大事なことなんですね。

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