「私は王である」

私は王である

世界は私のためにあり、私がすべてをつくり治める。

人生は私のためにあり、私のものであり、私次第である。そのように生きることが私の生き方であり、喜びであり、生きるということのすべてである。

世界は私を教え、導き、よき王として我が人生を味わいつくすためにここにあり、良きことも悪しきことも、ただ私が学ぶために存在する。幸せも不幸もすべては私の胸先三寸。すべてを叶えることができ、すべてを諦めることができる。

善も悪もなく、良いも悪いもなく、愛も憎しみもすべては王たる私自身である。
これが世界の成り立ちであり、世界のありようである。

私は王である

真坂かな

 

小さいころから学んできたことがすべて嘘だったとはいわないけれど、私達の基礎には、とてもとても大切なことが欠けている。それは、自分自身。私自身が世界そのもので、私自身こそが人生で最も大切であるということを忘れながら大人になった。

私はこう思っていた。周りの人に迷惑をかけず、頑張って、一生懸命に、礼儀正しく、正直に、わがままを言わず、笑顔で、いい人でいれば、成功する、上手くいく、幸せになれる。

大切なことのすべては自分のためではなく人のために行うことであり、正しく社会の中で存在するためにさまざまなことを学んだ。自分をだまして、自分らしさよりも調和や他者への尊重を優先すること。幸せになるためには、もっと我慢して、場に合わせて、もっと知識を、もっと情報を、もっと資格を、もっと気づかいを、もっと優しさを、もっと上品に、もっときれいに、もっと明るく、もっとポジティブに。

もっともっともっと自分以外の誰かに、理想の誰かになりなさい。私の場合は親ではなく学校や世間の情報からそれを学んだような氣がする。

そして私は、ダメな自分を数えることを覚え、知らないうちに、自分じゃない誰かになることを望むようになった。いつか、「成功して」「幸せに」なるために、変わらなくてはいけない。もっと成長して、もっと変化して、もっと「よい人」にレベルアップしていかなくちゃ、上手くいくわけがない。

頑張らなくちゃ、ちゃんとしなきゃ、はじめたことを続けなきゃ。できないのはきっと努力が足りないから。がんばろう。もっと一生懸命やれることを探そう。夢を見つけて、成功して、幸せにならなくちゃ。

そうして外にばかり目を向けていた時は何も見つからなかった。だから、20年ほど迷ってきた。20年探しても見つからなかった幸せや成功や私らしい生き方。

いい加減もううんざりして、ある日私はいろんな「べきこと」を本当にやめた。ご飯さえも作るのをやめた。一日や二日じゃなくて、何か月も。これまでも何度も経験してきた霧の中にいるような感じとはまた違う、もうどうにでもなれという思いと、その先に何か私の知らないものがくるという予感と期待が混ざった、いつ晴れるとも知れない日々。

ただ、だめな自分、つまらない自分、何もない自分、誰よりも価値のない自分を認めて期待を捨てて呆然とした感じ。何者でもない自分をそのまま認める、というあのがっかりした経験ははじめてではなかったけど、何度経験しても好きにはなれない。張り子の虎みたいに虚勢を張っていたウソの自分がはがれて、何もない小さな自分がさらされるのは、なかなかつらい。

それでも私は、この先に大きな変化があることを知っていた。それは、がっかりしている私の陰からそっと覗いている。

こちらに向かって照らしていたライトがパッと消えたとき、視覚を奪っていた光の残像が残る。その残像が消えたとき、照らしていたライトでもなく、目を覆っていた光の残像でもなく、本当の景色がはじめて見えてくる。

そうしてやっと、私は私の世界の王になった。

見えてきたものは、これまで教えられてきたこと、世間を通して体感してきたこと、様々なメディアを通して知らないうちに自分の考えであるかのように受け入れていたこと、とはまったく違う世界の在りようだった。

世界は、人生は、一生懸命生きていたつもりの私が思っていたよりずっと簡単な仕組みでできていた。それは小さな人間社会の想像を超えて面白く、計算なんてとうてい及ばないほど不可思議なものだった。

頑張って何かを身につけて、自分以外の誰かになるかわりに、自分自身をさらけだす。それは、とても怖いけれど氣持ちいい。そうして無防備に信頼して、計算なしに楽しむことができるようになるには、だけどなかなかたくさんの経験が必要だった。無理もない、これまでずっとずっと積み重ねてきたことと、まったく違う生き方をはじめたのだから。

自分に嘘をついていたことに氣づき、自分に嘘をついているなんて夢にも思っていなかったことが実は厚く塗り重ねてきた嘘だったと氣づき、何もなくなり呆然とし、マイナスみたいな自分に惨めになって、やけになって、しょうがないから受け入れて、軽くなっている自分に氣づく。おそるおそる、役割さえも捨ててみれば、やっとはじめて、やっとはじめて、本当の意味での自分が見えてきた。

「物書き」という言葉は同じであっても、まったく違う意味を持ったものがそこにある。その、体の内側の真ん中の深いところが震えて、ただあふれるように涙が出る。字にすると同じ言葉。その言葉が自分に与える違いを知っているのは、私自身だけ。それでいい。

嘘をつかないと残らないものは、いらない。嘘をつかないと保てない自分は、いらない。いらないものをいらないと言えない生き方は、もういらない。いらないものを知るために感情の起伏があり、いらないものを手放す行動が人生そのものである生き方をする。

私は世界を私に合わせる。なぜなら、王である私がつくる世界だから。

私であることこそが最高に素敵で、面白くて、奇想天外。それは私が特別だからではなく、私が私という人生の王だからで、全ての人が世界の王であるということが、私がおさめるこの世界のはじまりだった。

この生き方なら、人生は最高に素敵だ。

Related Entry

自分の弱さを口に出すことを恐れない