なんでお金が足りないのか、じゃなくて、なぜ私はお金が足りないという状態に自分を追い込んだのか。

2か月前の夜、てらきちさんとお茶を飲みながらお金の話をした。久しぶりにお金の話をじっくりしたらすごくいい話になった。

仕事をして稼ぐことは成功や幸せの条件じゃない

そもそも私は頑張ってお金を稼がなくちゃ、という思いが昔から強い。

仕事してちゃんと稼ぐことは、自立や成功や幸せの前提条件だと思っていた。疑ったこともなかった。でも最近生き方を変えてみたら、「どうもこれはお金の考え方の前提すら間違っていたのでは?」という疑問が出てきた。

思い返してみると頑張っていた時は借金さえあった。結構な額だった。

カッコよく見せなくちゃ、うまくいってると思われなくちゃ、と思ってたから、自分がろくに仕事してないとか昔の私だったら絶対に言えなかったな、と思い出す。だって、そういうのは良くないことだから人に言うべきじゃない、隠すことだって思ってた。仕事もしてない自分に価値なんかないと思っていたからなんだなぁ、と今思う。だから、すごくうまくできるフリをして上手にかっこつけて生きてきた。

お金がないから不安で、お金があれは安心、じゃない。

以前はお金があっても不安だった。銀行に2,3年遊んで暮らせるお金があっても、「毎月一定額以上の収入が確保できないと不安だから、それまで頑張ろう」とか、思っていた。するとお金は減る一方だった。

今、毎日本読んだり海行ったり文書書いたりしてるけど、昔よりずっとお金の流れがよくて、心も生活も穏やかだ。ろくに仕事してないけど、もちろん貯金は減ったけど、これまでで一番楽しく暮らしているし、焦りもないし、苦しみも不安もない。不安がないふりしてるんじゃなくて、本当に今までと比べたら格段の違いだなぁと面白く思う。

どこででも稼げるスキルは、私を安心させたか?

そういえば以前は、スキルを磨いてどこででも、どうやってでもお金を稼げるようになれば、お金の不安が減ると思っていた。でも働けないような病気にでもなったら困るから、やっぱりある程度の準備は必要だとも思っていた。

でも、これは不安が根拠になっている。しかも、どこででも生きていけるスキルって何だろう、ということが具体的に定まっていなかった。絵に描いた餅。

実際私は英語もほかの外国語もそれなりに使えるし、覚えも早いし、人脈もそこそこあったし、客観的に考えてみると結構早い段階で「どうやってでもそれなりには食べていける」状態だったと思う。でもいかんせん、人の下で働けないし、理想が高くてやりたいことしかやりたくないワガママさ。それでここまでなんか知らないけど人生のことばっかり考えて思いつくままに生きてきた。ずっとお金の不安があった。

じゃあ、解決策は稼ぐスキルじゃないじゃん。

スキルだけあってもしょうがないじゃん。

お金があっても不安、お金があってもなくても大丈夫、の違い

はじめに書いたみたいに、2,3年働かなくていいお金があっても不安だった。それは、その先のことを考えたら当たり前のことに思えた。だから、そのお金がまだあるうちに、次の手を打とうと試行錯誤してお金は目に見えて減っていった。

いよいよ不安になったけど、私にはてらきちさんがいた。

てらきちさんは仏さんみたいな人で、ぼんやりしてるようだけど、本当にぼんやりしていて天然。で、お金のことやら生きることの喜びやら幸せを分かっている。てらきちさんの経験もすごいけど、そっからなんか自然に身につけてきている生き方が素敵な人だ。

私が悩むたびにてらきちさんが、「お金足りないということにフォーカスしたらますます足りなくなるよ」と言うから、私は聞いた。「でもね、借金返すためには毎月使ってるお金とか把握して、計画立てて返済しなくちゃいけないでしょ?」そしたらてらきちさんはこう言う、「今楽しいことに目を向けて、目いっぱい楽しんだらいいよ、大丈夫。借金のこと考えなくても大丈夫。」

いや、意味わからんし。

目そらしてたら解決せんやろ。

私にはこの考え方の深さが全く分からなかったし、天然のてらきちさんにはそれを言葉で説明する技術がなかった。小さいころから泳げる人は、泳ぎ方を練習している人に上手く教えることができないように。

だから、しつこいほど突っ込んで話を聞いて、いつも納得いかないまま、でも少しずつ理解できることが増えてきて、お金もないのに好きなことに向かっていたら、借金はしばらくして解決していた。

では、私の考え方の何が変わったんだろう

その経験を通して、私はお金がないことにフォーカスすること、お金を儲けることにフォーカスすることを少しずつやめられるようになった。簡単に言えば「お金じゃない」ということが分かったということ。

お金が大切じゃないという意味じゃなくて、「お金は大切だけれど、それは幸せのひとつの要素で、すべてじゃない」ということがやっと腑に落ちた。当たり前のようだけど、私はこれをまったく分かっていなかった。分かっていないから、とりあえずお金がすべての問題の根本のように考えていたし、お金が手に入れば問題は解決すると信じていた。

だから、お金の問題を解決したいとき、私は当然お金に着目していた。お金を増やすためにどうするべきか、どう働くべきか、どう使うべきか。

お金がないことに着目して心配したり、悩んだりしていると、お金がないという状態は継続する。じゃあ心配して計画する代わりに何に目を向けるかというと、「今自分がどんなに満ち足りて幸せであるか」ということだった。お金に困っていても、やりたいことがあるなら先に今やる。お金の問題が解決するまで待っていては、いつまでもできないし、解決しない。それはとても不思議なことだけれど、そうして毎日小さな喜びとか、これからやることに胸をときめかせて実際に行動していくうちに、気がつけばお金の問題は解決していた。

お金は大切にするものだけれど、コントロールされてはいけない

これは、てらきちさんが自分の借金経験から学んだことだった。てらきちさんも昔、大きな借金があって、でもそれをすごいスピードで返済していた。その話は以前も聞いていたけれど、あらためて一昨日その話になってとても納得したのは、本当に、お金というのは大切にするべきものだけれど、コントロールされてはいけないなということ。

私は、お金の失敗はきちんと分析して、解決する手立てを整えなくちゃいけない、と思っていた。入ってくるものに対して、使いすぎるから足りなくなる。そう考えていた。でもね、本当はそうじゃない。借金してもお金で失敗したわけじゃなく、考え方がちょっと違っているよ、ということを経験するためにお金の問題が起きただけなんだよね。失敗じゃなくて、気づくためのきっかけということ。

すると見方が全く変わる。

なんでお金が足りないのか、じゃなくて、なぜ私はお金が足りないという状態に自分を追い込んだのか。問いが変わると、答えも変わる。大事なのは問いで、正しい問いが出れば価値ある答えが探せる。

私は一昨日やっと言葉にできたんだけど、人生でも一番重かった長~いお金問題を通して、自分がいろんな流れを制限して「頑張って働く=お金を稼ぐ」という定義を作っていたということを知った。お金が足りない、ということにばかり着目していたから、お金が足りない状態が続いていたこともやっとわかった。

お金は働かないと入ってこない、と考えていたころは、親からもらう、働かないけど人からもらう、すでにあるから心配しない、物を買わない暮らしをする(だからお金はほとんどいらない)、なんてことはカッコ悪くて良くないことだった。でも私は長年かけて、自分が、会社経営も経理処理も嫌いだし、人にものを尋ねられて代わりに考えてあげるのも好きじゃないし、毎日定時に同じ場所に通えないし、よほど納得しないと他者の指示に従えないし、同じことを繰り返せない、ということを確認した。ダメな自分を責めた。

で、責めるのやめてみたら考え方が広がった。

あ、私はできないことがいっぱいあって、でもそれでいいんだ。だから、お金を稼げない人が幸せに暮らしていてもいいし、もちろんそれが私だだったとしてもかまわないんだ。本人が満ち足りて暮らしていたら、方法なんてどうでもいいんだ。お金だっていろんな道から入ってきていいし、いいも悪いも自分の問題なんだ。

仕事はお金のためじゃなかったんだ。

台北ですこぶるおしゃれな部屋に住んだ。憧れていた暮らしをやってみた。

タクシーでレストラン行って、欲しい服買って、マッサージ行ってスパ行って、そんな、憧れていてきっとこれができたら毎日幸せになれるだろうと昔から思い続けていたことを2年間やったけれど、結局あきた。

楽しかったのははじめだけで、その興奮が冷めてみたら、お金を使ってもっともっとと遊び、お金を稼ぐためにもっともっとと働く暮らしは、私のやりたい生き方じゃなかった。

お金を使っていくら遊んでも、贅沢しても、価値があるのはお金で、そこには「私」がいなかったからだろう。

お金を稼ぐことも、お金を使うことも、「自分という表現」と同義なんだなと今これを書いていて気がついた。

2か月前の夜、てらきちさんが「円はご縁」と言った。これはてらきちさんが以前からずっと講演会でも話し続けていて、私も何度も聞いたことがあった言葉。だけどはじめて、腑に落ちた。お金のために働くのでも、使うために働くのでもない。縁がつながり、巡るものこそが円(お金)なんだ。

だから私は、お金を稼ぐために仕事をするんじゃない。

人と繋がって、自分が提供するものが相手にとって価値があれば、そこにお金がめぐるんだ。それが、労働とか商品とか価値あるサービス、なんて定義に当てはまらなくても構わない。人とのつながりと縁の中で、お金はめぐる。それを受け入れていいんだ。

幸せのきっかけをお金に依存するから、お金が無い状態を嘆くから、お金はいつも足りないか、ぎりぎりという状態になる。もっとほしいと願うとき、人は本当に欲しいものが今ここにあることに意識を向けないといけない。そうすれば、その状態が増えていく。足りないものに注目していると、足りないという状態が増えていく。だから、足りていることを味わえば、足りているという状態が増えていく。

 

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