人のやり方をいくらなぞっても、自分にはなれない

自分の核心に近づくにつれ、人生は生きやすく、自由になっていく。

さまざまなやり方や、方法や、あるべき姿、イメージに囚われているうちは、まだまだ自分の本当のところからは遠い。ましてや、人の教えを忠実に守っているとか、世間でいいと言われている方法を実践しているとか、成功者が教えていることを実践している、そういうのは一時期の経験としてはいいけれど、早く卒業したほうがいい。

ずっと〇〇さんの教えを守って掃除頑張ってます、アファメーションしてます、決断するまえには占い師にアドバイスもらってます、それもいいけれど、人のやり方をいくらなぞっても、自分にはなれない。

自分にもどりたいのなら、本当の自分の真ん中に触れたいのなら、真実を知りたいのなら、今ここにある摩擦や違和感や喜びや幸せや嘘に心をひらいていかなくてはいけない。それは人それぞれ違う方法でリアルタイムに展開されていく、映画以上に劇的な物語。

方法は、心配しなくても現れてくる。

とらわれている習慣、気づいてもいない思いこみ、親や人の目、世間という強迫観念、経済という罠、そういうすべては仕組み。だから、その理屈が分ればサッサと離れることができるスカスカの檻のようなものだ。ただやっかいなのは、氣づいてもいない、見えてもいないその檻に囚われている自分に氣づくことがとても難しいということ。それは常識や思いこみといった幾重にもはりめぐらされた伏線に刺激されている自尊心、というものを大事にしすぎるあまり、自分の気持ちを長年おきざりにしてきたから。

自分を見つめることは、怖い。

弱い自分を認めるのは、本当に怖い。怖いから、自分を守るために怒りという鎧をまとってみたり、人に柔らかな部分を見せてしまわないように警戒するあまり攻撃を仕掛けたり、まったく傷ついていないように演じてみせたり、もっと上手くやれる時には、いい人という仮面をつけて周りと自分さえもだましてしまう。

本当の幸せは、心の中から湧いて出て、心が震え、涙がでて、笑顔がこぼれて、あたたかく満ち満ちていて、ユーモラスで、突然だけどしみじみと続く、不安なんてこれぽっちも感じないし、不安がでてきたとしたらそれは次へのヒントでしかなくて、死ですら怖いことではなくて、そしてすべての終わりであり始まりであるという感覚。

悪い感情もいい感情もすべて大切で、いい経験も悪い経験もすべては自分が選んだこと、望んだことという確信。すべてが誰のせいでもなく、自分の選択の結果で、結果はただのひとつの結末であり、過程こそが生きている証と意味であり、終わりがあることの素晴らしさが今を輝かせてくれているということ。恐怖が安心を輝かせ、安心が恐怖に意味を与え、不幸などなく、幸せは今ここにあることのすべてであり、明日などという日はないということ。いつかなんてときは来ないということ。

いつかのための準備なんて、いらない。

誰かのやり方、誰かの言葉、そんなの卒業。

すべて、自分の中にすでにある。

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