豊かに暮らす、ということ

「豊かに暮らす」ことについて考えた。

豊かさというのは、お金やモノがあふれていることだと思っていた。

でも、使わない物やいらない物がたくさんあっても、わたしは結局安心できなかった。将来への備えがあればと思ったけど、貯金があっても不安は変わらなかった。もっとちゃんと稼げるようになればきっと、もっと収入が増えたらきっと。

いつか使うかも、またそのうち、もらっておかないと損、とりあえず買っておこう。そんなものを詰め込んだ引き出しやタンス、金額が増えた貯金通帳。それは、豊かさじゃなくて不安だということを私は知らなった。

本当に自分が何を必要としているのかは知らなかったけれど、でもお金や肩書があれば、「何かはっきりわからないけど、きっと私を幸せにしてくれるもの」が手に入ると思ってた。ずっとずっと、心の栄養不足が生む不安に動かされていて、自分が不安だなんて意識したこともなかった。

たとえすごく安い物でも、24時間コンビニで買えて便利でも、そんなものに囲まれていると心は荒んでいく。値段で選ぶうちは、不安にコントロールされている・・・。

いらないものを捨てられるようになって、やっとそれに気づいた。「捨てる、もらわない、不安からの買い物はしない、いつかそのうちのための物は買わない」そういう風に考えられるようになってから「豊かさ」の定義が大きく変わった。

お金や物があふれていることが豊かさだと思っていた昔の私。今は「ちょうどよく、あるべきものだけがある」ことが、豊かなんだと考えるようになった。

たくさんため込むことが大事で、たくさんため込んでいるからこそ安心できるんだと思っていた昔の私。今は「必ず必要な分だけ、必要なタイミングで手に入る」ことが分かるようになった。

物には豊かな物と貧相な物がある。

価格じゃない。心を込めて作られたものは、気配が豊かになる。だから、たくさん持つ必要はなくなる。重厚で歴史ある家具に囲まれていると、育てた人、作った人、大事に守ってきた人たちの思いも漂っているように感じられる。受け継がれてきた着物や、宝石も、小さな手仕事の日用品も。だから、たくさんたくさん物を持つよりも、たしかなものを必要なだけ持ちたいと考えるようになる。近くにいるだけで、使っているだけで満たされるから。

でもね、大量生産で安く、できるだけ儲けが多くなるように賢く作られたものは、何かを奪うような気配。育てられ、作られる過程で充分に与えられなかった愛情を求めるみたいに、使う人から何かを吸い取ろうとする。

だから、数重視で大量に作られ安く(時には高く)売られているようなものに囲まれていると、たとえビジュアルは素敵に思えても、体も心も疲れて、なんだか物足りなさを感じるようになる。だから、もっともっと、と物を求めるようになっていく。

だから私は気配が豊かなものがいいな、と思う

豊かなものには物語がある。台湾に来て、貿易業をはじめて、心を込めて果物や野菜を育てる人たちに会い、話を聞き、商品に触れて、それを食べたり使ったりしたときの気持ちよさを思う。100円ショップや安売りコーナーで買ったプラスチックやスーパーの添加物まみれの物に囲まれていた頃の自分を思う。

人の豊かさも、物がまとう気配のように、コツコツと積み重ねた丁寧な時間が作るものなんだろう。日本に戻って探す家は、だから、心が通い合うような、豊かな家がいい。そこに豊かなものを少しずつ増やしていきながら、自分を満たしながら暮らそう。

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