私はどうしたいのか、私はだれで、何を見て何をして暮らすか、なんだな

ここ数日、腰の骨が痛くて、てらきちさんにほぐしてもらった。

面白いことに、直接痛いところをほぐすより、その周りをゆっくりと揺らしてもらうと、痛いところがすぅっと良くなる。ほぐれると、触っても痛くない。

そうか、痛みっていう問題に気を取られていたけど、痛みがあるところにばかり気を取られていては、かえって力が入ってゆるめないものなんだ。

そこで考える。

私の今の悩みは、日本での家をどうするか。どこにするか、どんなスタイルにするか。

今ネットで見て候補に挙がっているところは両極端で、ひとつは海の近くの高台の家。これは小さくて昭和初期の文化住宅のように、木造だけれど見た目はなんというか、冴えない感じの家。でも、見晴らしがよくて、太陽がたくさん当たる。車が入らないから、下で駐車場を借りて、そこから歩いて家々の間を進み、斜面の階段を上がったところにあるらしい。一番気に入ったのは景色と、近くに美味しい魚を買える漁港があるところ。何より私が望んでいたことでもある。オマケに、瀬戸内海に面しているから気候も温暖だろう。大都会まで2時間弱のドライブ。

家自体は、資材の運搬とかがとても大変とはいえ、直せばどうにかなるだろうし、逆に、気楽に直せる楽しみもある。昔の家によくある奥に深いタイプじゃなくて、横に部屋が並んだ造りだから、どの部屋からも景色が楽しめそうなのもいい。立派な家にはならないけど、気持ちいい快適な家にできる可能性を感じる。自分たちの暮らしにちょうどいい感じ。

もうひとつの家は、古い古民家で、外側を塀に囲まれて門も素敵な日本建築だ。古いから改修がかなり必要だろうと思う。今内部の写真を取り寄せているところでまだ詳細は分からないけれど、雨漏りや床落ちまではしていないらしい。きれいに直せたら、すごく素敵な家になるだろう。ただ、冬はすごく風が強くなる地域ということで、まるで台風のような風が毎日ふくとか。買い物は、車で30分とか1時間とか離れた町に行って、ということになる。でも1時間も走れば大都会に出られる立地。ここも海の近く。台湾茶のお店だってできるし、講座を開催するときにも喜んでもらえるだろう。

見に行けば感覚でどちらが好きか分かるとは分かっているものの、今の私には、暮らしを考えるということが楽しい。家を通して、さまざまにこれからの自分を考える。どっちに転んでも大丈夫なんだけど、今の自分が求めるものを知って、より面白いほうに踏み出したい。

でもその悩みと、はじめに書いた腰の問題とが重なって、あっと思った。

私は家と仕事にばかり気を取られていたけれど、大事なのは暮らしそのものだ。立派であることとか、すごいと思われることとか、どうでもよかった。私が気持ちいいこと。私が望む暮らし。それを叶えるときなんだ。

街の友達には、小さな家で講座や教室をやっている人もいる。生活の中に入っていける感じが素敵だ。田舎の立派な家で講座や教室をやっている人もいる。私も京都の古民家でやっていた。街の人にはそのほっとする感じが好まれる。あぁ、場所はどこでもいいんだな。

というより、講座や人の訪問が家の目的じゃなかった。

要は、私はどうしたいのか、私はだれで、何を見て何をして暮らすか、なんだな。

これまで、京都の古民家で田舎暮らし、台北で街暮らし、台東で海の見える田舎暮らし、をしてきた。京都の古民家では買い物に行くのに車で20~30分、台北で歩いてすぐあるいはタクシーで買い物の街暮らし、台東では車で30分。家のロケーションに関しては、やりたいことをやってきたけれど、今そのどれもがこれからの自分と重ならない。どうしてかというと、それは「やり方」だからなんだな。

すでにいろんな望みを経験してきて、じゃあ結局?と言われて、うっと詰まっているような状態。問題にするべきは、稼ぎ方や都市へのアクセスや家のスタイルなんじゃない。もっと、広い視点で見た暮らし方。それはつまり、私の在り方。

結局、在り方か。

・・・

そして、上の記事を書いてから数日後の昨日、カフェに行きたいという私の欲求について二人で考えた。私は台北でもかなりの数のカフェに行ったけれど、やっぱり日本に戻ってもたまにカフェに行きたい、と思っている。なぜか?を考えていくうちに、私はカフェに行くことを成功のアイコンとしてとらえていたことが分かった。

Sex and the City のキャリーのように、これまでたくさん見てきた映画のワンシーンには、カフェやレストランで楽しい時間をすごす成功した主人公の姿があって、そのイメージが知らず知らずのうちに私にしみ込んだ。そのイメージは、「カフェに行けば仕事がうまくいく、いい話ができる、いい仲間ができる」、という根拠のない方程式を生み出した。冷静に考えたらまったく違う話なんだけど、成功の、幸せのイメージが行動と結びついて、カフェに行けばそれが得られる、と勘違いしていた私がいた。「やせたら幸せになれる」そのイメージ戦略にはまるみたいに。

でも、やせても幸せになれるかどうかは自分次第なのと同じように、カフェに行っても成功はできない。さらにつきつめると、私がカフェに行って得たいものは「 成功・豊かさ・楽しさ(刺激)・仲間」だとわかった。それはつまり「必要なもの全てがある」という状態。実際には映画の主人公にも悩みはあるけれど、私が求める土台はすべてある、そんなイメージだった。

その必要と思うものがすべて叶った自分は、満たされていて、何をしていても自分という感じ。人に説明しなくても自分には価値があるという自信。

だから私は、足りないものを補うためにカフェに行きたかった。

そう、結局私が求めていたのは、カフェに行く暮らしじゃなくて、「何をしていても、誰に説明なんかしなくても私は私、という自信を持てる生き方」だった。

では、どうすれば「何をしていても、誰に説明なんかしなくても、私は私という自信を持てる」のかといえば、「 成功・豊かさ・楽しさ(刺激)・仲間」がそろったとき。ではそれは、どうすれば整うのか?

ひとつずつ考えてみた。

成功とは、今の私にとって、他者からの承認だな。それはイコールお金ともいえる。お金にならなくてもいいけれど、いつでもお金にかえられるもの、それが他者からの承認。尊敬とか信頼ともいいかえられる。

豊かさとは、普段の暮らしに必要なものがあること。そして、必要な時に与えられるという人生への信頼。今必要以上になくても、必要な時にじゅうぶんなだけ与えられるという信頼があればこれほど豊かなことはない。

楽しさ(刺激)とはなんだろう。変化だな。繰り返すだけじゃない、変化。私は変化が大好きだから、同じことを毎日何年も繰り返すことはできない。人生に退屈しないように、新しいことに首を突っ込んだり、新しい興味に身を任せていく。

仲間とは、その時々の自分と同じところを目指す人たち。自分の変化に合わせて変わっていくもの。無理に探さなくても、やりたいことをしていれば、自然と出会う。

あぁ、今の私に本当に足りないのは、成功(他者からの承認、尊敬、信頼)か。でもそのために、人に合わせるのは違うな。承認・信頼・尊敬は、偉いから・すごいから得られるんじゃなくて、ただ自分がよしとする道を進めば勝手についてくるものなんじゃないだろうか。だから、意識することも、無理することもないということ。我が道を行き、それらが得られたらうれしいし、得られなくてもただ我が道を進んでいることが楽しいんだからすでに充分だ。

・・・

ふと、私が座右の銘にしている「見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい」というガンジーの言葉を思い出す。今の私が見たい世界の変化、これはどんなものだろう。考えたいのは私を取り巻く世界の変化、ではなく、私自身の世界の変化。大事なのは自分で、人をどうにかしたいなんて考えには意味がない(でもこの間まで勘違いしてた)。

そうだなぁ、手始めにいいなと思う生き方をあげてみよう。いいなと思うのは、穏やかに積み重ねている人だ。食べることを大事にしている人。静かで、じっくりと自分を向き合って考えていて、湖のような力をたくわえている人。

でも私はピンコシャンコしていたい方だけどなぁ。やっぱり味噌や梅干しを手作りして、美味しいものを作って食べて、書いて、出かけて、人生をめいっぱい楽しもう。あちこち行って日本を楽しもう。毎日の暮らしはいい景色を見ながら、気持ちよく美味しく。家は、古民家じゃなく、普段の管理も無理なく手の届く範囲の家がいい。手ごろな大きさの家を、自分たちが思うように直して、快適に、便利に、気持ちよく暮らしたい。そしてたまに、人が遊びに来るのもいいだろう。おいしいお酒とおすすめの肴をもって。

あぁ、そのためにはとてもいい家がある。

高台の家に決めよう。

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