退屈な日々と、台湾の魚と料理のこと

ここ数日、退屈な時間をすごしている。

日本に帰国後の家もほぼ決まり、かといってまだ本契約前で不動産の動き待ちだから、決まったような、まだのような、なんとも気持が宙ぶらりんだ。

これまで毎日のようにやっていた「家探し」がなくなってみると、ぽっかりと時間が空いた。この台東という田舎で、しかもあと2か月少々という時間では、あらためてやりたいこともなく、もともと観光好きではないので行きたいところも別にない。

この機会にまだ見ていない太魯閣なんかの観光地でも周れば、という気もするが、なんだかそれさえ気が乗らないのが、いよいよ退屈なところ。こんな時は大都会台北にいたらやりたいことがあったかなと考えてみるけれど、やっぱり何も思いつかないから、まぁしょうがない。夜の星や、昼の海の景色をぼんやりながめられるし、砂浜も歩けるし、空気はいいし、台東のほうがずっと楽しいことは間違いないみたいだ。

ひさびさに魚料理でも、と昨日は台東市内まで車で20分かけて走って魚を買いに行った。

市場内の魚屋は、高いけれど品質がいいと評判の店。天気のせいで収量が少ないというお店の人の説明を聞きながら、小さな海の魚と、新鮮な白魚を買う。とはいえ、小さな魚は少し目が濁り、頭からしっぽまでで私の手のひらぐらいのサイズなのに、2尾で150元。こんなに小さな魚で一尾300円近くもするなんて、、、。漁港がたくさんある海のそばに暮らすメリットが本当に感じられない街だと思う。台北の朝市のほうが、ずっと美味しくて安い魚があった。

家に帰って、キノコや野菜を敷き詰めてオリーブオイルと塩でオーブン焼きにする。肌寒くなってきた秋の夜長に、あたたかくて海の香り広がる美味しい晩御飯となった。シラスは今日のお昼の汁ビーフンに。

とはいえ、瀬戸内海で生まれ育った私にとって、台湾の魚は物足りない。値段だけじゃなくて、味も。台湾の人が海鮮が美味しい、という店に行っても物足りない。海鮮レストランの調理方法はどれも、蒸すか、揚げるか、焼くか(塩焼きじゃなくて小麦粉をまぶしてフライパンにたっぷりの油でしっかりと揚げ焼きにするから、どの魚も同じような味になる)、スープ(塩水に魚を放り込んだものに味の素)、ぐらいだ。甘辛く炒めてバジルを加えたりと、台湾料理らしい味付けもあるけれど、基本、どのおすすめの店に行っても、味付けはにたりよったりで、調理法も同じ。日本の店のようなバリエーションは、圧倒的に欠けている。

ついでにいえば、フレンチやイタリアンは、輸入物の乳製品が圧倒的に貧相なため、味はかなりいまいち。価格(高い)と味(すごくイマイチ)のバランスが私の感覚には合わない。高いお店は高すぎるし、安いお店はこれまた不味すぎる。これだけの金額を払えば、日本でならもっとずっと美味しいのに、というのが本音。

台湾料理が一番無難だけれど、どこにいても同じ味、というのは否めない。地域差がすごく少なくて、面白みがない。台湾の人にしたら、ちまき(おこわを葉っぱで包んで蒸したもの)ひとつとっても地域によって違うのよ、ということになるが、台北から台東に引っ越した私から見ると、それは家庭内誤差ぐらいの違いでしかなくて、日本の料理のバリエーションの広さにあらためて気づかされた。

たとえば、ちまきの中身にシイタケが入っているかいないか、豚肉が入っているかいないかといっても、基本の味付けは大して変わらないんだから、私にしたらそれはチマキだ。でも台湾の人からすると、南と北は違う、となる。違うというなら、うどんとそばぐらい違ってほしい。うどんに天かすが入るか入らないかで、まったく違う食べ物のように言われても、やっぱりうどんはうどんだ。

だからなおのこと、心は日本に飛んでしまう。

台湾を嫌いになったわけじゃない。でも、恋と同じで、あちらが良いとなるとあちらの良いところばかりが目立ち、こちらのイマイチなところばかりが目立つようになってくる。不思議なものだ。中でもとくに、食のことに関しては、裏も表もいろいろと分かってきた今だからこそ、愛想が尽きてしまうのも仕方がないと思えてきた。

退屈を楽しむ方法、なんて考えずに、ただ退屈なまますごしてみようと思う。

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