努力というのは、どれだけ頑張れるかではなく、どれだけ力を抜けるか。信じて飛び込んでまかせられるか。

努力というのは、どれだけ頑張れるかではなく、どれだけ力を抜けるか。信じて飛び込んでまかせられるか。

努力、というとどうしても我慢して、頑張って、自分の気持よりも結果を優先する、と思っていた。でも私は間違っていた。

努力の「努」の字は、「女の又(股)の力」と書く。

そういえば、てらきちさんから昔聞いた話では、「女性のおまたは、参道(産道)で、男はそこのお百度参りするだけだから、女性は神様を抱いた尊い存在なんだよ」だとか。

そう考えてみたら、「女の股の力」である「努力」とは、自分を押さえつけて力むということではないんじゃないかと思えてくる。

努力とは、むしろぐっと込めていた力を抜いて、自分自らの力ではない力に任せる、委ねる、という意味なんじゃないだろうか。要だけをしっかりととらえて、あとはリラックスしておくというような。女性のおまたのように、授かっているけれど自分の意志だけでコントロールできない神秘をそのままに受け入れるというような。

思い返してみれば、「私が頑張らなきゃ、努力しなきゃ、成功しなきゃ」と思っていたころは苦しいばかりでまったくうまくいかなかった。でも昔からのやり方をやめて、自分の心をよく聞いて、嫌なことはたとえそれが目先では不都合に思えても、思い切ってやめてみることにした。ひとつずつ、一歩ずつ。

つまり、この時初めて私は「本当の努力」をしたんじゃないだろうか。

力を抜いて、自分の人生を信じた。自分を大切にするということを、言葉だけじゃなくて実践した。自分を大切にするということは、周りとバランスをとるということじゃない。人の顔色、世間の評判のために自分を曲げるということじゃない。

そうしてみたら、結果は素晴らしいものだった。

とはいえ、それは思った通りというようなスムーズなものじゃなくて、いつもまったく思いがけない展開で思いがけない方向に進んでしまって、でもそれがなんともはや上手くいったという感じ。とはいえ今でも、昨日の記事「誰の役にも立たなくても、立派にビジネスやってなくても、たくさんの人に「すごいですね」と言われなくても、ただ、私っていうだけでいい。」に書いたように、うっかり昔の癖が出てこれからのことを計画したりしはじめると、とたんに面白くなくなって行きづまる。行きつ戻りつ、少しずつ力を抜いていっている途中だ。

これから私にとって「努力」という言葉は、

「どれだけ頑張れるか」ではなく、

「どれだけ力を抜けるか」「どれだけ人生を信じて飛び込めるか。まかせられるか」

という意味になる。

 

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