その時の心の動きはさておき、物事は振り返るとうまいことなっている

今、部屋からココナッツの木と海を見ながらこれを書いている。

きれいな海、美味しい空気、良い人たち、こじんまりした家。心が通う大切な人がいて、賢くて可愛い犬がいて、人生への不安もない。

憧れだったシチュエーション。

でもそれにも慣れて、日本に帰るのを楽しみにしている私がいる。

どこかを目指して、何かが手に入るのを求めていても、手に入れたら慣れてしまう。海の美しさや景色の荘厳さにいまでもハッとするけれど、台東に暮らしはじめて半年もすぎれば、景色だけでは物足りないところが目につくようになった。

安心して買える食材が少ないとか、魚が美味しくないとか、美味しいレストランが皆無だとか。そういった生活の小さなことが、食べることばかりだけれど、とても大事だということに気づけたのは、やっぱり台湾に暮らしたから。日本で当たり前にあったもの、たとえば鮮度のいい美味しい魚や納得して買える野菜や、ちょっとしたお楽しみのおやつ。

きれいな景色は慣れてしまう。ドラマチックな景色と、毎日の小さな楽しみを天秤にかけたら、私には食べることのほうが大事だったみたいだ。もとより、私が求めていたのはドラマチックな景色じゃなくて、気持ちの良い日常だったということなんだな。

しかも私は、生活をコツコツと積み重ねていきたい。味噌も梅干しも毎年作って保存していきたいし。その暮らしは、やっぱり日本じゃないと、ね。以前にもう経験したからこれからはしなくても良いかな、と思ったはずのことがやっぱり大切だって氣づく。

思い返せば私達は、今年の5月に台東に引っ越してきてから家を探した。1ヶ月ほど探して、ここではよほど運がよくないとまともな家が借りられないことがじわじわと分かってきて、では古い家を自分たちで改装しようと思った。

で、やっと見つけたボロ家を慌てて5年契約した。1か月の苦労から、借りられる家があること自体めったにないことだ!と思ったし、知り合った台北からの移住者にもそう言われたからだった。

その家は、少し海が見える程度で、ながめはまったくもっていまいちだったけど、改修したら楽しくなるねと盛り上がった。外トイレだったので、地面下の水回り工事は家主に負担を依頼。地面上は、ボロボロの建物はもちろん、屋根なども含めてすべてこちらが直すということで、お互い快く了承しての契約だった。

のはずが、翌日家主からのラインで、やっぱり高いから水回りの工事は出来ないとのこと。結局、契約はキャンセルして、納めたお金は返金してもらった。ものすごくがっかりした。でも反面、その日の朝までの興奮が嘘のように、契約がキャンセルになってよかったんだ、という気持ちが広がった。

それから結局、今借りている海が見える可愛い家を見つけるまでしばらくかかった。だけど今、こうして台東に腰を落ち着かせて暮らしてみて、日本に帰ることを決めてみて、本当にあの時あの家を借りなくてよかったとしみじみ思う。

かといって、あの家と出合っていなければ、まだ台湾に踏ん切りがついていなかったか、ほかの直さないといけないような家を借りてしまっていたかもしれない。

その時の心の動きはさておき、物事は振り返るとうまいことなっている。

来年2018年1月に帰国後は、淡路島に暮らすことになりそうで、その家は本当に驚くほどに自分たちの望みにピッタリで、思ってもいなかったところまでぴったりで、やっぱりうまく出来ているなぁと感心している。

今は、フレンチブルドッグのシーフーの検疫の都合で1月を待っている状態。これからの2か月の時間をおだやかに楽しもうと思う。

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