きっと私には二度とたどり着けない、人生最高の温泉「タロコの文山温泉」

タロコの大自然の中で、大理石から湧き出す天然の温泉に入った。不思議なほど最高の温度で、人が手を加えず自然のまんま岩の間から吹き出しているなんて信じられないほどだった。

つかっていると、優しい気持ちになる。人に与える、という台湾そのものに触れたような気がした。お湯で温まって、溶かされて、流されていく。残ったものは穏やかであったかい、大理石のようにすべらかなもの。

外の空気の冷たさと、温泉の熱めのお湯が最高で、流れ出る温泉を滑らかな大理石のカーブの上で楽しんだ。壁の割れ目から吹き出すお湯を肩にあててみたり、浅いところに腹ばいに横になってお腹を温めたり。

川の横にある小さな湯船は、石を堤防にして人が作った小さな砦。たった2つだけの丸い池に足をつけてみた。少しだけ硫黄の香りがする。

それにしても、ここに来るまでの道のりは、本能との戦いだった。本来は整備されていた道が、落石で閉鎖され、その閉じられた門の横をかいくぐれば、真下に落ちるように伸びる階段。狭い石の階段が山肌から染み出す水で濡れている。

前を見てしまうと、あまりに急な角度と深い川に落ちていくような感覚に、脚がすくむ。大丈夫と分かっていても、体は勝手に動きを制御して、痺れたようになっていく。

シーフーを片腕に抱いて、迷いなく降りていくてらきちさんは、あっという間に遠ざかり、人の背中が見えなくなれば、その分景色が広がって、恐怖がガバッと襲いかかってくる。思わずお尻を低くして、服が汚れるのもかまわず、濡れた石にお尻を引きずるようにして不格好に降りていった。顔もひきつり、周りをみる余裕もない。

そうして、なんとか降りきったところに、きっと私には二度とたどり着けない、人生最高の温泉があった。

こんな場所でも人は入れ代わり立ち代わりで、外国人の姿も目立つ。みんなひょいひょいと階段を昇り降りしている。

私達が入っていた時には、ちょうど地元の人が帰るタイミングで、あとには誰も来なかった。たっぷり1時間半は入っていたけれど、のんびりと楽しむことができた。

自然の力はものすごい。そして、その力をいつでも自分のものにするためにコントロールしたいという気持ちも分からないでもないけれど、そのことによって、大事なものが失われている。

それは、自然が、地球がといった大きなことじゃなく、まさに私達人間自身の大切な何か。失われているのは、自然ではなく私たち人間自身の中に育まれる、大切な感覚なんじゃないだろうか。その感覚がうすれるほど、私たちは大切なものを見分ける力が失われていく。

コンクリートの箱に暮らし、アスファルトの上を歩き、ニセモノの香りや味に慣らされるうちに飼いならされてしまっている本能こそ、今の私に必要なすべてという気がする。

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