今年もありがとうございました。

今年はラオシーとシーフーに出会えた素晴らしい年の始まりだった。ラオシーとの別れは寂しかったけど、自分の醜さに気づいた。その後、ラオシーには色々助けてもらっている。ありがとう、ラオシー。シーフーは元気に育ち、こんなに愛おしい存在がいるのかと言うぐらい可愛い。そしてよだれが臭い。

5月で松山の家を飛び出し、台東に来たことも思い切った決断だった。アホだから出来ること、これが人生を面白くするんやね。台東では家探しに本当に苦労したけれど、おかげで中国語が急速に上達し、知り合いが増えた。知り合いが増えるということは、ビジネスに役立つとか自分の成長に役立つとかそういうことじゃなくて、ただ人生に厚みというか、ムダというか、余白みたいなものができるということなんだな。はじめて、知った。それがとても、なんというか豊かなことだということも。

自分丈が私にはちょうどいいようだ。たくさんの「これ、私できないじゃん」があって、そのがっかりなはずのあきらめのおかげで、道が見えて、拓けた年だった。良いことも悪いことも全部オッケーだった。

お金の流れも体感できた。思い込みがバッコリはがれてみたら、すごくシンプルだった。なんでも手に入る、ということの意味がはじめてわかった。手に入っとる、ということも。

淡路島で家を見つけて、迷い続けたけど、やっぱりあそこに暮らすんだな。嫌だから迷ってたんじゃない、むしろ、理想を超えた家だ。なんで迷っていたのかな。始める恐怖、というか、もう後戻りができないってことが怖いんだろうな、いまだに少し。

大きく動き始めるだろう。でもそれがなにかとか、どうなるとか、どうなりたいとか、そういうのを決めるからじゃない。ただ、そうなるから。抱負もいらない。

台東にきたことで、余白が大きく広がった。これまで自分に足りなかった、余白。ムダなことなんて本当はなくて、人生なんて壮大な暇つぶしだということを知った。なるようになる人生を歩ける自分になれた気がする。

来年もどうぞよろしくお願いします。

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